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万葉の景色

島の宮

夢膨らむ歴史の舞台

▲飛鳥のシンボル、石舞台。
その圧倒的なスケールは言うまでもなく、
今も絶対的な存在感を誇る (明日香村島ノ庄)

 蘇我馬子の墓と伝えられる、これこそ飛鳥のシンボル石舞台は四季を通じて観光客が絶えない。わが国でも最大級という横穴式石室をもつ古墳としてあまりにも有名。ちなみに基壇の一辺が51メートル、巨大な石室が露出し玄室は長さ7.6メートル、幅3.9メートル、高さ4.7メートルとガイドブックにある。その圧倒的なスケールは言うまでもない。

 70トン級の花こう岩30数個を使用。もちろん重機などなかった太古の昔、どのようにして造成したのだろうか。床面周辺には排水溝をめぐらすなど土木技術も優れている、という。現在、周辺一帯は歴史公園として整備され、春はサクラ、秋はハギの花が咲き乱れるなど憩いの場所になっている。万葉の時代、この辺りは桃原と呼ばれ、旧高市小学校(現駐車場)から北にかけ馬子の邸宅があったと伝えられている。

 没後、跡地は天皇の離宮となり、島の宮と呼ばれるようになった。とりわけ草壁皇子と縁が深く、邸として使われたようだ。当地を詠んだ万葉集には“主人”、草壁皇子の死を悼む舎人(とねり)たちの歌が多い。


『 島の宮 勾の池の 放ち鳥 人目に恋ひて 池に潜かず 』  舎人の歌(巻2-170)


『 島の宮 上の池なる 放ち鳥 荒びな行きそ 君いまさずとも 』  舎人の歌(巻2-173)


 島の宮には池があり、水鳥が放たれているが、今日はじっとして動こうとしない。鳥たちにも皇子が亡くなったことが分かるのだろうか…。放ち鳥を介し、舎人自らの思慕の情を託しているようだ。草壁皇子は天武天皇と持統皇后の1人息子として、期待を一身に背負っていたが病弱ゆえ、皇位に就けず28歳の若さで亡くなった。

 サクラが満開のころ、石舞台を訪れた。麗(うら)らかな春の日に恵まれ花見を楽しむ人々もあちこちに。ここで皇子が水鳥たちと遊んでいたのかなぁ、などと考えると古代のロマンへと夢が膨らむ。


▲花咲く石舞台周辺。後方が旧高市小学校で
万葉の時代、この辺り一帯が島の宮と呼ばれた


写真と文 牡丹 賢治

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