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万葉の景色

能登川

深山幽谷のせせらぎ

▲能登川源流はこの冬一番の冷え込みで一部が凍り、
キラキラと輝く (奈良市白毫寺町)

 十二神将像で名高い新薬師寺の土塀沿いを南へ。白毫寺に至る小道を進むと、細い流れの能登川を渡るコンクリートの橋が架かっている。旧家が密集する橋のたもとには現在、マンションが建ち万葉の風情はない。が、「万葉集」には能登川を詠んだ歌がニ首あり、その1つは純粋な叙景歌で、花咲く御蓋(みかさ)山と能登川の清流を賛美している。

『 能登川の 水底さへに 照るまでに 三笠の山は 咲きにけるかも 』
作者不詳(巻10-1861)

 春日奥山の原生林を源に岩の間を渓流となって走り、高畑界隈(かいわい)から街中へ。源流をたずねるとせせらぎが尽きることなく流れ落ち、万葉の面影が伝わってきそう。流れに沿う石畳道は「滝坂の道」と呼ばれる柳生街道の一部で、途中、石窟仏や野仏が点在する深山幽谷という言葉がピッタリする古道だ。

 さて、「水底さへに照るまでに」咲いた花はサクラともヤマブキともいわれているが、今の能登川には水鏡になれるほどの水量はない。しかし、上流へ上流へと進むほど清らかに。訪れた日は、この冬一番の冷え込み。連日の氷点下に流れの一部が凍り、幻想的だ。木漏れ日が流れをキラキラと照らし、凍った水面が白く輝く。

 岩清水がちょろちょろ流れる道沿いに氷柱も。石畳を登り、石切峠を越え南に進むと田原に出る。矢田原町に志貴皇子の田原西陵があり、東の日笠町には志貴皇子の子、光仁天皇の田原東陵がある。2つの陵の間には太安万侶の墓(此瀬町)が見つかっている。

 高畑界隈から滝坂の道を経由し忍辱山バス停まで約10キロ、さらに柳生バス停まで約9キロが柳生街道。ここを通り「宮本武蔵こころのふるさと」柳生を訪れるハイカーも多い。


▲氷柱状に凍った岩清水
(滝坂の道)


写真と文 牡丹 賢治

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