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万葉の景色

二上山

夕日が沈む浄土の山


▲山の辺の道(桜井市)から見た二上山。
夕日が吸い込まれるように二峰のかなたに沈む

 標高515メートルの雄岳と同474メートルの雌岳が寄り添うように並ぶ二上山。大阪との府県境にそびえ、その昔、大和人(やまとびと)には、日の沈む浄土の山として親しまれた。西麓(ふもと)は多くの天皇陵が築かれ、死霊の鎮まる神聖な山といわれ、特に二峰間に沈む夕日は西方浄土信仰とつながり、東麓には当麻寺が創建された。

 古くは"ふたかみやま"と呼ばれ、歌や詩に多く詠まれた。雄岳の頂上には悲劇の皇子、大津皇子の墳墓があり、万葉の世界では弟を悼み詠んだ大伯皇女の歌が思い出される。


『 うつそみの 人にある吾や 明日よりは 二上山を 弟世とわが見む 』  (巻2-165)


 二人は二つ違いの仲のいい姉弟。皇子が4歳の時、母が死去。その後、大伯皇女は姉であり、母代わりでもあった。父・天武天皇が即位すると、皇女は伊勢に派遣され弟とは別々の生活を強いられることに。神に奉仕する身、幽閉に近い生活を余儀なくされたとか。皇子は姉を慕い、ひそかに訪ねたという。

 天武天皇の死で、任を解かれた大伯皇女が大和へ戻ってみれば愛する弟はもうこの世の人ではなかった。大津皇子は謀反の罪で死に追いやられていたのだ。伊勢にいた方がよかった。なぜ帰って来たのだろうか。そんな心の内を詠んだ歌やアシビを手折ろうとも、見せたい弟はもういないと嘆く歌が残る。


『 神風の 伊勢の国にも あらましを いかにか来けむ 君もあらなくに 』  (巻2-163)


『 磯の上に 生きるあしびを 手折らめど 見すべき君が ありといはなくに 』 (巻2-166)


 弟は遠い世界に行ってしまった。この世にいる私は二上山を弟と思い、眺めよう。「うつそみの…からは、深い悲しみが伝わる。万葉集には大伯皇女の歌が六首あるが、そのすべてが大津皇子を思う歌。皇女は大宝元(701)年、41歳で生涯を閉じるが、独身を貫いた。ひたすら弟を恋い思う一生だったに違いない。

 1年を通し、二峰間に沈む夕日が見えるのは春と秋の一時で、飛鳥(明日香村)や山の辺の道(天理市―桜井市)が美しい。特に冬の気配が日に日に迫る今、太陽は二上山に引き込まれるように足早に沈む。大伯皇女の悲しみが乗り移ったように、辺りは黄昏(たそがれ)から闇夜へ。空が赤く染まる夕焼けをみようと大勢の写真愛好家がカメラを構える。「夕焼けハンター」の一喜一憂が続く。


▲日が暮れる寸前、水面がきらきら輝く

▲空が赤く染まるなど、日々表情が違う二上山の暮景


写真と文 牡丹 賢治

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