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万葉の景色

長屋王墓

早すぎた死、妻と眠る

▲藤原氏の陰謀に倒れた長屋王が眠る墓に夕日が当たり、
つかの間黄金に染まる(平群町梨本)

 昭和63年9月、平城宮跡(奈良市)南東のはずれから長屋王(684年~729年)の邸跡が見つかり話題となった。高市皇子を父に、天武天皇の孫にあたる長屋王は平城遷都後、皇族に代わり藤原氏が政界の中央に進出した時代に頭角をあらわした。

 藤原氏に対抗できる唯一の皇族として、聖武天皇即位の日(724年)に左大臣に就任。今風にいえば、総理大臣クラス。しかし、権力争いに巻き込まれ、自殺に追い込まれた。働き盛りの46歳、吉備内親王も後を追った。長屋王が生前詠んだ歌がある。


 『 佐保過ぎて 奈良の手向に置く幣は 妹を目離れれず 相見しめとぞ 』 (巻3-300)


 願いは一つ、いつも妻と一諸にいたい…と。いついつまでも二人で―。長屋王と内親王が眠る墓が生駒の山並みと東の矢田丘陵の間を流れる竜田川沿いに並びひっそりたたずむ。田んぼが点在し特産の花づくりが盛んな地だが、墓の間際まで住宅開発が進みやや不釣合い、といった感も。

万葉集には長屋王の死をあわれむ追悼歌が一首残されている。


 『 大君の 命恐み大あらきの 時にはあらねど 雲がくります 』 倉橋部女王(巻3-441)


 作者と長屋王の関係は定かではないが、その悲痛な情感がひしひしと伝わる。西日が墓を照らす夕方、同地を訪れた。辺りを黄金に染めたのもつかの間、周囲の家から明かりが漏れ始めるころ、墓は色を失った。


開発が進み、間際まで住宅が迫る。
後方左が生駒の山並み


写真と文 牡丹 賢治

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