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万葉の景色

藤原京

長安モデルに壮大な都

▲木漏れ日が差し込む大極殿跡。
広々とした空間にひっそりとたたずむ
(橿原市高殿町)

 大和三山のほぼ中央に位置する藤原京。持統女帝が夫の天武天皇の遺志を継ぎ、唐の都・長安をモデルに築いた、わが国最古の都城。持統8(694)年、飛鳥浄御原宮から遷都。その後、文武、元明の二代を含め16年間にわたり、都として繁栄した。

 耳成山の南に大宮土壇と呼ばれる大極殿の跡が名残をとどめ、石碑が立つ。これまでの発掘調査でその規模もほぼ確認されているが、華麗にして壮大な都をしのぶ痕跡は無い。広々とした空間から想像するしかない。

 万葉集には藤原京造営という大事業を生々しく伝えている。


 『 やすみしし わが大君高照らす  日の皇子 あらたへの
藤原が上に 食す国を見し給はむと 都宮は高知らさむと
神ながら 思ほすなべに 天地も 寄りて あれこれ… 』
   作者不詳(巻1・50)


 格調高く天皇の徳をたたえて始まる「藤原宮役民の作る歌」。さらに神と仰ぐ天皇のために昼夜を問わず、故郷に残した妻子のことも忘れて懸命に働く役民の誇らしげな喜びが歌からにじみ出ている。

 「藤原宮御井の歌」(巻1・52)も同じように賛美の長歌。補う反歌も。


『 藤原の 大宮つかへ 安札つくや
少女がともはしき 呼ばふかも 』
  作者不詳(巻1・53)


 東西2.1キロ、南北3.2キロ。十二条八坊、基盤目状の都は活気に満ちあふれていたことだろう。持統女帝の有名な歌の一つ、春過ぎて 夏来るらし…(巻1・28)も遷都間もない同地で詠まれた。残暑厳しい9月上旬に訪れた。大極殿跡は木漏れ日が差し込み、汗がにじんだ。


▲藤原宮跡から見た大和三山
(上から耳成山、香久山、畝傍山)


写真と文 牡丹 賢治

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