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万葉の景色

飛鳥古京

地中に眠る日本の礎

石敷き

▲わずかに残る石敷きは飛鳥の繁栄を伝えるには
あまりにも地味だが、地中に眠るロマンに満ちた力強さが伝わる
(いずれも明日香村岡)

 「木枯らし1号」が吹き、暦の上では冬到来-。

 待ってました、とばかり冬型の気圧配置が強まり、明日香路は晩秋から初冬のたたずまい。飛鳥寺の前に広がる田畑の南方にあり"伝"や"伝承地"の冠がつく飛鳥板蓋宮跡も、ススキが風に揺らぐ。

 発掘調査で石敷きの溝と通路に囲まれた宮殿や広場、角材で組んだ井戸跡などが見つかり、史跡として整備された。

 また「大津皇子」などの木簡が出土したことなどから、上層部が壬申の乱平定後、近江大津京から飛鳥に遷都し天武天皇が宮とした飛鳥浄御原、下層部が皇極天皇の板蓋宮という説も。


 『 大君は 神にしませば 赤駒のはらばふ田井を 都となしつ 』
大伴御行(巻19-4260)


 大伴御行は大乱の戦場をかけめぐった将軍。「赤駒の はらばふ田井」など武将らしい力強い表現だ。明日香に凱旋(がいせん)した大海人皇子(のちの天武天皇)は、人々の目にはてきぱきと仕事ができると映ったに違いない。在位15年、その間、国家統治に尽力したことなど周知の通りだ。

 天武天皇亡きあと飛鳥浄御原宮から藤原宮へ。しだいに廃れ、現在、当時の繁栄を今に伝えるものは皆無。が、古京を吹きぬける風は今も昔も同じ…。


  『 采女の 袖吹きかへす 明日香風 都を遠み いたづらに吹く 』
志貴皇子(巻1-51)


 明日香を眺めるには甘橿丘が1番、とよく言われるが、地中に眠る遺構をしのび、ぽっかり空いた空間を見つめるのもいい。そんな気がした。

当地

▲晩秋から初冬のたたずまいを見せる当地、後方は橘寺


飛鳥板蓋宮伝承地

▲飛鳥浄御原宮だった、という説が
有力な飛鳥板蓋宮伝承地

写真と文 牡丹 賢治

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