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万葉の景色

菅原の里

天平の"高級住宅地"

ハス

▲大きな葉の間からすらりと伸びた花が涼しげー。
宝珠形のつぼみも愛くるしいハスは早朝に花開き、昼過ぎには閉じる。
しかも咲き始めから3日間ほどの命。だからこそ美しいとも
(奈良市菅原町の喜光寺)

 垂仁天皇陵の北、奈良と大阪を結ぶ大動脈・阪奈道路を越えたところに喜光寺(別名・菅原寺)がある。万葉にも詠まれた「はちす」(ハス)が盛り、100種類200鉢がずらり美を競う。仏像の多くがハスの花の台座に立ったり座ったり、手に持ったりと、至るところに登場する。法要のときの散華もハスの形をしているなど極楽浄土を象徴する花として縁が深い。そっと手を合わせ、シャッターを切った。

 さて、この辺りはかつて「菅原の里」と呼ばれ、奈良時代は貴族が邸宅を構えた"高級住宅地"。平城宮にも近く、東に春日の山々、西に生駒山を望み、今風に言えば絶好のロケーション。着飾った貴婦人が往来、活気に満ちあふれ華やいでいたことだろう。が、人間模様はさまざま。やり場のない哀(かな)しみが詠まれ歌が今に残る。

 『 大き海の 水底深く 思ひつつ 裳引きならしし 菅原の里 』
石川女郎(巻20-4491)

 藤原不比等の子宇合(うまかい)の第二子、宿奈麿(すくなまろ)の妻が、夫の愛をなくし、悲しみ恨みつつも幸せだった日々を追憶。その姿は哀れだが、「天平の美人画」のモデルのような艶(つや)やかさが思い浮かんだ。碑が喜光寺にある。スケールこそ違え、東大寺大仏殿とそっくりな同寺本堂。「試みのお堂」とも呼ばれて、優美だ。

 狭い道路を隔て、地名の由来になったといわれる菅原道真ゆかりの菅原神社も。民家が入り組み、車の往来も激しいが田んぼがぽつんぽつんとあり、わずかながらの里景色。平成2年の発掘調査で見つかった菅原東遺跡・埴輪(はにわ)窯跡群も近くにある。

 土器製作に従事した土師(はじ)氏の居住地としても知られている同地、垂仁天皇の皇后、日葉酢媛の古墳に初めて埴輪を作り並べたとか。斜めに掘り抜いたトンネル状の登り窯、6基が発見された。今から1500年前、円筒埴輪や朝顔形埴輪、人物や馬、鳥などをかたどった埴輪を焼いていた跡がきれいに整備された。

喜光寺本堂

▲心落ち着く里の面影が残る「菅原の里」。
右後方が試みの大仏殿といわれる喜光寺本堂


馬の埴輪

▲馬の埴輪などが並び、きれいに整備された
菅原東遺跡・埴輪窯跡群

写真と文 牡丹 賢治

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