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「雲華焼」の窯跡 - 窯の発見は全国初/郡山城下町に

2017年11月2日 奈良新聞

雲華焼を焼いたとみられる窯跡=大和郡山市柳町1

窯の壁土が付着した雲華焼の破片=同

 大和郡山市柳町1丁目の郡山城下町に位置する宅地で、江戸時代前期から中期の「雲華焼(うんげやき)」の窯跡が見つかった。調査した同市教育委員会によると、雲華焼は茶器などに用いられた大和発祥の高級な焼き物で、窯跡が見つかるのは初めて。都市部での焼き物の生産例も珍しく、後世に郡山で隆盛する赤膚焼との関連性も注目される。1日、地元住民向けの現地説明会が開かれ、約140人が参加した。

 集合住宅の建設に伴い、10月下旬から約50平方メートルを調査した。

 見つかった窯跡は幅約1・9メートル、奥行き約1・6メートル。東側に焚き口があり、土と草で作られた高さ1・5メートル程度のドーム状の窯体と煙突を持っていたと思われる。

 周辺では雲華焼の火鉢や土風炉などの破片が大量に出土。窯の壁土の破片に付着した物もあったことから、雲華焼を焼いた窯だったことが分かった。他の出土遺物の時期から、窯は17世紀前期に生産が始まり、柳沢氏が郡山に入部した18世紀中期に廃絶したとみられる。

 雲華焼は焼成中の操作により表面に雲のような模様をつけた焼き物。西の京で活動した「南都土風炉師」の子孫が安土桃山時代に始め、江戸時代前半には梅谷(木津川市)に窯があったとされるが、詳しい生産地など不明点が多かった。

 これまでは伝世品のほか、大阪府堺市や京都などで遺物が出土しているが、生産した窯が見つかるのは全国でも初めて。

 また、郡山城下町で焼き物の窯が見つかるのも初めて。大和郡山では19世紀初め、3代藩主柳沢保光の保護により赤膚焼が隆盛し、奥田木白ら名工が活躍している。

 調査を担当した大和郡山市教委の山川均主任は「家庭用にしては規模が大きく、工房があったのだろう。火事の危険性があるため、都市内での焼き物生産は珍しい」としている。

○談話

 赤膚焼窯元 小川二楽さんの話

 雲華焼は赤膚焼の系譜につながる焼き物であり、奈良の陶芸の歴史を考える上で重要な発見。郡山城下の町衆たちが当たり前のように焼き物を生産していたとみられ、こうした文化度の高さが赤膚焼を生み出す素地になったのかもしれない。

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