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国原譜

当たり前のことだが、言葉として「私たち…

 当たり前のことだが、言葉として「私たち」と「私」は異なる。「私たち」の中身が誰にとっても自明ならいいが、自明でなければ疑問は残る。

 安倍晋三首相の戦後70年談話に「私は」という言葉が見当たらない。小泉純一郎元首相の戦後60年談話で、冒頭から「私は」で始まるのとは対照的だ。

 村山富市元首相の戦後50年談話でも「私は」「私の」は出てくる。文末は「私の誓いの言葉といたします」だ。全体が首相談話なのだから、で済ませていいのかどうか引っ掛かる。

 安倍首相談話の終わり近くで繰り返される「私たちは(中略)この胸に刻み続けます」。そして続く「だからこそ、我が国は…」という決意表明を「私たち」は共有できるか。

 この中にある「『積極的平和主義』の旗を高く掲げ…」という部分などはどうだろう。積極的平和主義の内実に論議がある中では、民衆への浸透度も不明だ。

 安倍首相談話の中の「私たち」と「我が国」に対し、民衆の側からの「私」はどう応えたらいいか。よく安倍首相談話を読んで、「私たち」の共有度をしっかり見定めねばならない。(北)

 

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