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金曜時評

葛藤忘れず後世に - 編集委員 増山 和樹

 色鮮やかな壁画で注目を集めた明日香村のキトラ古墳(7世紀末〜8世紀初め)が、11月7日に調査開始から30年を迎えた。昭和58年のその日、石室に挿入されたファイバースコープは北壁の玄武を捉えた。古代ロマンをかき立てる大ニュースだったが、壁画はぎ取りという結末を誰が予想しただろう。

無二の壁画を無傷で石室から取り出すという難事業は成功したが、結末に至るまでの葛藤を忘れてはならない。石室の一部として現地で保存するのが原則であり、調査ははぎ取りが目的であったわけではない。

 修復の終わった壁画は近くに建設予定の体験学習館(仮称)で公開されるが、「なぜはぎ取りだったか」理解できる施設にすることが、遺跡や文化財に対する国民の意識を育てることにつながる。

 キトラ古墳の調査は昭和58年以降、長い間中断した。周囲に農道程度の道しかなく、高松塚古墳のような騒ぎになれば大混乱が予想されたからだ。墳丘には申し訳程度にブルーシートが掛けられ、卒塔婆が置かれていた。

 墳丘の範囲確認の後、石室に小型カメラが入ったのは平成10年。玄武に加えて青龍と白虎の壁画が見つかり、何よりも世間を驚かせたのは天井に描かれた精密な天文図だった。

 盗掘穴からカメラを挿入する内視調査は、古墳へのダメージを最小限に抑えられる。次世代型の調査手法として期待する研究者もいた。しかし、デジタルカメラの精度が上がって石室内の様子が明らかになるほど、壁画保存の必要性が高まった。

 壁画の下地となっているしっくいが石材から剥離して浮き上がり、落ちる危険があったためだ。当初意図した非破壊に近い調査は発掘へとかじを切り、文化庁は現地での修復・保存を断念してはぎ取りを決めた。高松塚古墳で明らかになった壁画の劣化も影響した。

 キトラ古墳で壁画はぎ取り、高松塚古墳で石室解体が成功したのは、国を挙げた体制と技術者の努力のたまものである。しかし、2つの事業がモデルケースとなってはならないだろう。

 開発を前提とした発掘調査では、多くの遺跡が「記録保存」で姿を消す。遺跡に優劣はつけられないが、二つの古墳は後世に残すべく選ばれた国の特別史跡である。現状変更には本来厳しい規制があり、苦渋の選択だった成功を、手放しで喜ぶことはできない。

 史跡に限らず、保存が決まった遺跡のために何が最良なのか、それぞれのケースに応じて議論が尽くすことが求められる。仮に壁画があると分かっても、外部的な処置に留めて自然に委ねることも、今後は一つの選択肢だ。

 キトラ古墳の壁画は来春、東京国立博物館で公開される。遠方移動は最初で最後だそうだが、そうすべきだろう。壁画は約1300年間石室にあり、はぎ取りは極めて重大な決断だった。保存施設からの持ち出しを戒め、扱いは常に謙虚であってほしい。

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