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金曜時評

歴史と支援を糧に - 編集委員 水村 勤

 大型の台風12号は、記録的な豪雨によって奈良、和歌山、三重3県を中心に大きな被害をもたらした。県南部では死者・行方不明を合わせて25人となった。

十津川村野尻では熊野川沿いの村営住宅2棟が流され、2人が死亡し6人が行方不明となっている。その現場から2キロほど下流の山崎の集落に住む元村長の野尻忠正さん(81)は「災害はしょっちゅうやってくるわけではない。やはり、忘れたころにやってきた。明治22年の十津川大水害、昭和34年の伊勢湾台風と、十津川は2度痛めつけられた。その教訓が生かされなかったという無念さがある」と語っている。

 3日の豪雨は数時間にわたって続き、川の水かさがみるみる増えていった。「怖いぐらいすごい雨だった」という。杉などの植林された樹木が根ごと流され地肌が現れたり、水没した木も多く濁流に飲み込まれた。山崎地区では幸い川沿いの集落の人々が国道168号から上にある元学校の避難所に自主的に待避し無事だった。同地区に限らず、集落内のまとまりがあり防災意識の高い所では、多くの人命が救われた。

 野尻さんは「十津川村のように大雨が降る地域では、繰り返し災害がやってくると認識し、山や川の怖さを認識するための防災教育をきちんと行う必要がある。東日本大震災で岩手県釜石市の小中学校では、児童生徒全員の命が守られた。この教訓を学び、住民の意識を高める取り組みが必要だ」とも語った。

 五條市や吉野郡など県南部への道路、電気、通信などのライフラインは徐々につながり、復旧への動きは弾みがつきつつある。しかし、行方不明者の捜索は連日懸命に取り組まれているものの厳しい状況が続いている。多量の土砂でせき止められた土砂ダムがさらなる大雨によって決壊する恐れも出てきた。何としても二次災害を引き起こさないように、復旧や捜索にあたる関係者や住民の安全確保に配慮を払ってもらいたい。

 災害発生後、前田武志国交相はいち早く現地視察を行い、野田佳彦首相もきょう県入りするようだ。国・県としてできる必要な支援を迅速かつ継続的に行ってもらいたい。また、県民の支援の輪も広がってほしい。

 特に十津川は、司馬遼太郎が「街道をゆく」で、明治の時代に幹線道路を整備するために自分の山林を無償で差し出したり、村有林を売却して費用を捻出したことを取り上げた。さらには各戸が負担してつり橋を造る故事も紹介し、公の美風の地としてたたえている。

 今回、被災した県南部地域は、山間の厳しい自然条件の中で「自助」「共助」の精神の育んでいる地である。だからこそ、大がかりな支援が地域の復元を早める糧となる。

 元来は緑豊かな地。十津川大水害の時のような「離村」の悲劇があってはならない。被災者が悲しみを乗り越え、これからも生活できる施策を心から望みたい。

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