特集奈良の鹿ニュース

金曜時評

無責任極まりない - 主筆 甘利 治夫

 無責任ではないか。

 自民党所属の浅川清仁県議(56)が、まさに唐突に離党した。本紙の取材に、もっともらしいことを語っているが、詭弁(きべん)に聞こえる。周辺の話を聞けば、来年の県議選の情勢が厳しいことから、恩ある党や支援者らのことは考えずに、活路を見いだせると判断しての行動か。

 浅川氏といえば、県政界の重鎮として知られ、党県連会長、そして県議会議長を連続11期、全国議長会長も務めた故・浅川清氏=平成14年死去=の長男だ。長年にわたって故人の政治力を見てきただけに、亡くなった時の衝撃は大きかった。その地盤を引き継ぎ、翌年の県議選で初当選した。新人ながら清氏の支援者や党関係の多くの人の力で、1万540票を獲得し8位(定数10)に滑り込んだ。

 周囲は清氏の威光があったから、浅川氏を支えてきた。けっして本人の政治的力量などではない。それを錯覚しているのではないか。前回選挙は、合区によって山辺郡・奈良市区となり、定数が1増となったにもかかわらず、9049票と得票を減らし最下位当選の11位だった。4年間の政治活動の実態が得票に示された。

 「今年の夏ごろから考えていた」という浅川氏は、離党の理由を「政策の違いなどを感じるようになった。自由に論じられる雰囲気でなく、自分なりの主義主張を明確にし、政策など独自の活動を強めたかった」からだとしている。

 1人で何ができるのか。民主主義の原則は多数決だ。どのような高い理想も、政策が実現しなければ、空論だ。これまで党内でそんな議論をしてきたかどうか。「自由に論じられる雰囲気でなかった」というのは言い訳だ。多数党だからこそ諸政策が実現ができることは、小学生の教科書にも載っている。

 初当選後、現在県連会長代行で県議団団長である米田忠則県議の下で、政治家としての薫陶を受けたと聞いている。離党の覚悟があるのなら、なぜ米田氏に「自由に論じられる雰囲気でなかった」と意見しなかったのか。この離党は、参院選敗北の実質的な責任者として問題視されている米田氏への造反の意味があるのかもしれない。

 その参院選敗北で県連会長が不在となっているが、ようやく会長選挙も22日に告示され、再建に向けて動き始めている。

 浅川氏の立場は県連総務会長代理であり、1区幹事長という責任あるものだ。しかも会長選挙の選管委員でもある。総務会だけでなく、今月6日の選管委(服部恵竜委員長、10人)を盟友でもある中村光良・青年局長とともに欠席した。責任放棄の姿勢、無責任さは、すでに示されていた。「職責を果たさぬ裏切り」との支援者の言葉が重たい。

 「自民党には、育ててもらった恩も感謝も感じており、政策的な協力は今後も惜しまない」などと語っているが、自らの厳しい選挙情勢を見越した行動だ。育ててもらった自民党と支援者への“反逆行為”としか思えない。

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